プラセンタとは?

美容胎盤プラセンタ

プラセンタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

プラセンタとは?
プラセンタ、あるいはプラセンタエキスや胎盤抽出物や胎盤漿(英語: Placental Extract, Placenta Extract)は、胎盤から抽出した成分。

日本の処方箋医薬品としての注射剤の商品には更年期障害・乳汁分泌障害の適応があるメルスモンと、肝機能の改善のラエンネックがあり、プラセンタ製品最古の栄養剤ビタエックスなど、経口の一般医薬品や健康食品も流通している。

化粧品では日本の医薬部外品の美白有効成分として使われている。

歴史

胎盤はクレオパトラや楊貴妃、マリー・アントワネットが美容目的で使用したとか、始皇帝が不老不死を求めて使ったとも言われるが、真偽は定かではない。紫河車(生薬としてのヒト胎盤)について、文献上確認できるものは、唐代の『本草拾遺』や明代の薬学書『本草綱目』(1596年)で言及されているのが初で、朝鮮半島では古く『東医宝鑑』(1613年)にも記載があり、こうした医書は江戸時代の日本にも影響を持った。

近世では、旧ソ連のオデッサ大学教授で眼科医であった V. P. フィラトフ(1875-1956)が埋没療法として、1920-1930年頃に疾病の治癒に胎盤を使うと高い治療効果を発揮すると提唱している。また、同じ旧ソ連の病理学者の A. D. スプランスキー(1844年-没年不明)も『神経病理学』という著書で胎盤のもつ治療効果について言及している。

1960年代以降、ソ連での研究は途絶えた。日本では、京大医学部の三林隆吉が、1943年に国家命令で高度栄養剤を開発し、1945年にはこのヒト胎盤を使った栄養剤について海軍が武田薬品工業に製造を依頼したところで終戦が訪れ製造中止したが、これは1955年には経口の栄養剤ビタエックスとして発売され一般医薬品となった。

1956年には注射薬のメルスモン、1959年にラエンネックの承認を得た。三林とは別に、秋田大学初代学長の九嶋勝司は、埋没療法を研究し1977年にスノーデン株式会社を設立、胎盤を原料として配合した医薬品から化粧品、健康食品を製造している。

スノーデンもまた、1982年に一般医薬品としてのプラセントップを発売する。日本胎盤臨床研究会、大韓胎盤臨床研究会では研究が続いてきた。